原価厨に必要なのは「リュウを使う勇気」
下の記事を見て、昨日の昼飯と「リュウを使う勇気」の意義を思い出したという話。
いや、昨日、つけ麺のかなり美味しい店に行きまして、そこでの太麺がなかなか絶品。うどんくらいの太さがあってモチモチ感の太麺。で、ふとしたはずみで、海苔に巻いて麺を食べたのですよ。
美味っ!
人生40年も生きて、ようやく知ったのですね、海苔の存在意義。あ、そうかラーメンに海苔が入っているってこういうことなのかと。今まで海苔単独で食べてたよ、海苔に巻いて麺食べるとこんなに味がよく合うのかと、ラーメン不勉強すみませんでしたと。私の中でのラーメンのトッピングランキングは味玉が群を抜いて一位だったのだけれど、いきなりいい勝負の二位につけてきたぞと。
これは、次にこの店に来た時には海苔を増量するか?と。
ところが、ここで僕の脳のよからぬ部分、経済学エージェントが囁いた。
「でも、海苔ってラーメンのトッピングで、一番原価低いんじゃ無かったっけ?」
僕の脳の経済学エージェントは、基本的に原価厨。自分の行動が「経済的合理性にあっているか」という観点で、ほんまでっかTVの先生方のように無駄な知識に基づいてうんちくコメントをするおせっかい。
あーそうか、とひるんだ僕に、別のエージェントが囁いた。
最近入ったオスカーワイルドのエージェント
“Nowadays people know the price of everything and the value of nothing.”
― Oscar Wilde, The Picture of Dorian Gray
つまりまあ「price=価格」は他人の決める値段。
「value=価値」は俺が俺のために決める俺価値。
「昨今のバカは、すべてのものについて価格だけ知ってるけど価値は知らねえ」とのオスカーワイルド語録。相変わらず切れ味鋭い。
俺価値が、他人価格に負けていいのかと。
俺価値ってのは、そんなに低いものなのかと。
で、「リュウを使う勇気」という話を思い出したわけです。
四半世紀もの間、格ゲー界頂点に君臨する梅原氏が出した、一度別れたリュウに戻る理由~自分で決めたと思っていたことが、そうでなかったと気付いた
現在のストリートファイター5は、2016年12月のバージョンアップで、それまで梅原氏がメインに使っていたキャラクターのリュウが相対的に弱くなった。そして、氏がサブで使っていたガイルが強くなった。普通なら強くなったサブキャラをメインにする。プロならなおのこと、実績も求められるし、周囲の期待もあるため、1%でも勝率が上がるキャラを使うべきだ。
(中略)
理屈なら、リュウを選ぶのはとんでもない行為。なぜ、わざわざ勝ちづらいキャラでやるのか?
(中略)
梅原氏が再度リュウを使うのは、それと同じ理由。ガイルは全部を持っている。だが、その全部持っているというのは、他人が決めたこと。学歴が高い方が良いと言うのは、人の価値観だ。人の価値観に合わせて、自分の感情を押し込めるのは愚かなことだ。
そういうことだ。なんかを極めた人は良いこと言うね。
「合理的でない選択」だけが、自分が何者であるかを定義づける。
*
この前読んだ「ゆかいな仏教」(Amazon Unlimitedでただ読みしたのだが...)で、大澤氏が「消極的自由」「積極的自由」という便利な概念を引用していた。
イメージとしては、私の部屋にたくさんのドアがあると。どこから出ても良いと。
- あるところから出ると、バカな結果にたどり着く。(休日の1日をグダグダ過ごすとか)
- あるところから出ると、生産的な結果にたどり着く。(勉強して発見するとか)
「間違ったところから出るのも自由」と考えるのが「消極的自由」
「正しい結果にたどり着く自制を身につける」のが「積極的自由」
真に欲望すべきことを欲望し、真に望むべきことを望む。
意識の高い「経済的合理性」なんてのは、典型的な「積極的自由」だろう。
だけど、
人々のやっていることの大半がつまらないこと、低俗なことに見えたとしても、消極的自由を確保することに徹するべきだろう・・・というバーリンの議論が引用がされていたわけです。
ごもっとも。
「積極的自由=ただ一つの正解」
という世界は、尊敬に値するが、生きていくのが息苦しい。
*
だからここで
「海苔で巻いた方が<本当は>合理的だから、海苔で巻く」
という話にラーメン議論を帰着させちゃったら、やっぱり「積極的自由」のつまらなくてうるさいお説教フレームワークにまた引きずられる。それは「たったひとつの正解」を争う最適化ゲームの駒になることだ。
でも、かといって、全く外の世界を何も見ないで「俺の気持ち」だけを探ろうとしても、そこには何もない。外と繋がらない意識なんてものは、サイコロ同様の意味のないランダムだからだ。最適解にもあらず、ランダムにもあらず、その間を漂う。時に外を見て学び、時に中を見て受け流す、仏教だったら「半眼」っていうんですかね。
まあ、機械学習なんかでやってるシステムもそういうことなんだろうと思う。外だけ見て動いている原価厨的エージェントは、つまらないローカル最適解にはまってすぐに動けなくなる。外を見ないエージェントはどこにも辿り着かない。
時に合理的に、時に非合理に。
まあ、ようするに、適当に生きましょうねってことだ。
安倍首相の性癖推定と、自民党の政党名変更について
自民党が、炎上芸人百田氏の発言が飛び火してボヤを出している模様。
最近の安倍政権は、マスコミが取りたくなるような揚げ足が多すぎる。ダチョウ倶楽部が「押すなよー押すなよー」とわめいているようなシチュエーション。ここはもうツッコまないと可哀想になってくる雰囲気。
この前、ようやく気がついた。理解した。
安倍首相はMだ。きっとそうだと思う。
マスコミに非難されたい。国民に罵られたい。だから安保法案で思いつく限りの無茶をしているのだろうと思う。間違いないと思う。
それは、お爺さんの岸首相を見て芽生えた性癖なのかもしれない。国会を埋め尽くすような男女の群れが「岸を潰せ」と声を上げる姿を見て思ったのだ。
おじいちゃんはスゴい、と。
日本中に罵倒されて踏みにじられて、それでも自分の勝手を通す姿に、範馬刃牙的な「ワガママを通す事こそ男の本懐」というセクシャルな妄想にヰタセクスアリスがもぞもぞ来てクハーっとなったんではなかろうか。
なら、まあ、もうしょうがないかもしれない、と感じる。
いや総理大臣が憲法無視しちゃダメなんだけどさ、国会でオナニーは良くないんだろうけどさ。滾っちゃったんだから、もう理性の言葉じゃどうしようもないだろうと。クハーってなるまでは止まらない。
ただ、一点だけお願いしたい。自由民主党という名前の再検討だ。
党員に言論統制する政党ってのも、…まあそれはそれでアリだろう。某宗教政党とかさ。
でも、それは「自由民主」では無いだろうと思う。とりわけ「自由」ではない。タイトルに偽りがある。これはJAROに訴えたくなるレベルで納得いかない。
だから、政党の名前だけ変えていただきたい。
「自我民族党」とかなんとか、略号は変わっていないけど、何となく名が体を表す感じにしてもらえたら、色々と納得して選挙にも行けると思うのです。その提案のバーターとして「民主党」も「官主党」とかにすると、選挙民としては分かりやすくてよいのではなかろうか。
関係者各位には、前向きなご検討のほど、どうかよろしくお願いいたします。
サンダーバード ARE GO、ときどきいじめ
トレーラーを見たら、思いのほかワクワク度が高い。
「サンダーバード」新作テレビシリーズ、8月29日にNHKで先行放送 - ねとらぼ
見るかもしれない。
サンダーバードは時々見たくなる。
話の筋とか特にどうでもよい感じの番組。とにかくジオラマが動いているのにワクワクするという、贅沢な感じの番組だ。
ああいうのが大事なんだよなあ。ストーリに凝ると、燃え尽きるのが早い。
延々と流しているだけの環境ムービーみたいになると強い。「サザエさん」とか「萌え系」とかと基本的におんなじ何か。サステナビリティってこういう事なんだろう。
そういえば、ヨソの家の事情とかどうでもいいんですが、
トレーシー一家の次男ジョン・トレーシーが3ヶ月、末っ子のアラン・トレーシーが1か月の割り当てで交代して滞在。
仲の良いはずの家族企業で、三ヶ月間宇宙に放置されて。
孤独に業務。
うん、・・・絶対いじめだと思うんだよね。
政策:60歳以上の徴兵令と戦争の年齢制限設定
タイトルの通り。「徴兵令引いて若者を自衛隊に入れよう」とか言う爺さんたちを見ていて思いついた政策。
昔は人口ピラミッドとか言っていたけれど、現代では人間は死なない。
ピラミッド形状の人口モデルが成立している組織は、不要な人員をリストラして人間を外に排出している。つまるところ、「天下り先」の受け口が用意されていないと、そんな仕組みは成立しない。最近では定年退職後の再就職ってのを広めて、60歳以上の方々の雇用延長を続けているようですが、それも過大化すると組織を硬直化するばかりでしょう。
そんなら、定年後の方々に国防を担っていただくのが良いのではないか。
何が良いって社会保障費と国防費を兼用できる。定年後に蓄えを無くして年金も入らず、ホームレスになるなどという悲劇を避けることが出来る。根拠無く高くなってしまったプライドを、一旦リセットするのにも丁度良いかと思う。
いっそのこと、戦争にも年齢制限を付けるのが良いのではないか。
ほら、サッカーにはU20とか同年齢で行う試合があるじゃないですか。戦争も国際協定を引いて、60歳以上限定の戦争とかすると、国力低下を避けることが出来るかもしんない。60歳以上の戦争が激化すると、満を持して50代が出て行くことになるのだろう。
今だったら、1000年前に比べれば戦争に体力は必要なくなっている。50年前に比べてもそうだろう。10年後はますますそうだろう。
そして米軍は無敵となる。弾丸をもはじく超人になれるアーマー「タロス」が完成間近 : カラパイア
60歳超えたら子孫の平和を守るためパワードスーツを着て国防に。生き甲斐もプライドも手に入る。案外、いいんじゃないですかねえ。
彼らの国と、僕
「どのみち、私たちは異国人ですね。女性は女性であるがゆえに、男性が自ら宣言したこの社会の規範から除外され、遊離しています。この社会では人間は男(マン)と称し、尊敬すべき唯一の神は男性で、唯一の方向は上昇なのです。そうです。それは彼らの国なのです。」
高橋源一郎さん「メイキングオブ『悪と戦う』より「左利きの卒業式祝辞」 - Togetterまとめ
昔僕が「異邦人たち」という名のマンガを書き始めようと思ったときに、描こうというものは、こういう話だった。・・・まあ結局、そんな小難しい事は描けなかったわけだが。
「俺」は縄張りを維持する戦いをのぞむ
「私」は共同体を正当化する
「僕」は人目を避けながら小さくつぶやく
年を取って長いものに巻かれるようになった僕が、生活を人質に取られて口にする勇気のなくなった事。
曖昧模糊として、論理的でない事。
王様の耳がロバの耳だと井戸に向かって叫ぶ行為。
逆らうという行為の意味を忘れる前に、メモだけは取っておこうと思う。