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3Tohei's Lonely Hearts Hatena BLOG

超中学生級の能力を誇るサラリーマン研究者の脳からだだ漏れしてきた呻き声を記録したログデータです

3tohei's Lonely Hearts Web Site 別館

生きるための勇気と生き延びるための臆病

意識の高い学生の方々が、一念発起して起業してビジネスをまわし、生き抜くための勇気を活き活きと語っている姿は、すがすがしく妬ましいモノであります。

いやあ、妬ましい、妬ましい。

私などは、生き延びる能力が根本的に欠如しているので、まあ起業などは夢のまた夢。動物園から出てきたよく肥えたピンクの豚が、ジャングルのワニの縄張りに踏み込んで水浴びしているような光景になる事でしょう。

そういう人間に取って、学校という檻はまあ比較的楽なモノでした。

会社という檻も窮屈で面倒でありながらも、この檻とつきあっていくのだろうなあ。

 

そう言う人間だからなのか、生まれた時代のなせる罠なのか、私はどちらかといえば「サヨク」な人間であるらしい。私の育ったキリシタンの家ではリベラルと言うていましたがね。殺し合いはやめましょう。弱者も嫌な奴も無闇に否定せず、みんなでヌルく生きていきましょう。そんな発想で、ぬるーく生きてきた。

でも、最近の若者の皆さんの中には、バトルロワイアルな殺し合いの場で育てられたのか知らないのですが、殺伐と否定し合ってののしり合うのが、紳士のたしなみと心得ている人も多くなっている模様。人に厳しく自分に厳しく、ストイックに心身を苛めて鍛え、貪欲に戦闘能力を身につけ、自己鍛錬を身につけ、生きのびる武器を手にしていく。

妬ましいような。

哀しいような。

面倒くさいような。

 

人間、臆病でさえあれば、一応は生き延びてはいけるもんなんだけどなあ。

この歳になると、そんな事も考えたりする。

 

某飲食店オーナーや某服飾店オーナーのように、勇敢なビジネスマン達は、毎日ハルマゲドンの恐怖を演説する。

曰く、この時代は過ぎ去り、破滅の角笛の音とともにグローバル競争社会という最終地獄がやってくる。近い将来やってくる。すぐにでもやってくる。その暗黒の時代を生き抜くためには、今のうちから我が輩の奴隷として泥をすすってストイックな殺し合いに慣れた戦士になる必要がある、とか。

我が軍に入り、血と汗を流し、勇敢な戦士になれば生きのびられる。

今は泥をすすり、来るべき殺し合いの世の中では、臆病者を殺す側に回ろう、とか。

 

なるほど、まあ、言っていることは正しいような気もする。

だが、それってオウム真理教で行っていた洗脳演説を、よりリアルに仕立て上げただけ何じゃねえのかなあ?という気もする。ディテールはリアルになっているが、物語の構造はおんなじだ。

帝国を作るための物語の本質は、何千年も変わらないという事なのかねえ。

 

僕はまあ、できるなら、今後も臆病で怠惰な歌を歌って生きていきたいものだ。

その結果、肩に刺々パッドを付けた狂信者に囲まれて殺される日が来るのかもしれないのだが・・・。

立川談志は、「落語とは人間の業肯定である」と宣っていたそうだ。

怠惰な人間のための歌。そんなものがあってもいい。

ハルマゲドンを恐れて隣の人間を殺して回るよりは、頭を下げて愛想笑いしながら女々しく生きていけるような臆病な勇気のために。臆病で怠惰な歌を。