読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3Tohei's Lonely Hearts Hatena BLOG

超中学生級の能力を誇るサラリーマン研究者の脳からだだ漏れしてきた呻き声を記録したログデータです

3tohei's Lonely Hearts Web Site 別館

偏見2.0とビッグデータ

いかにも不思議ちゃんっぽい小保方さんの研究が、やっぱり不思議系だったようだ。

いかにも怪しそうな片山被告は、やっぱりやっていたようだ。

 

見た目で怪しげな人は、やはりやっていることも怪しい・・・という考え方、偏見判断主義とでもいうか、残念ながら、だいたいのケースで正しい。

因果関係で立証するのではなく、雰囲気で判断する。こういった確率的に判断する方法は、人間が進化的に勝ち得た判断手法だ。

体裁を整えるためにプロファイリングとか呼んだりしているが、因果関係を立証せずに確率的に判断する、フェルミ推定とかビッグデータ的判断技術ってのは、要するに「直感的な偏見の工学的な再現」だ。

 

因果関係で証明したりは出来ないが、往々にして結果は正しかったりするのだろう。

 

で、これはいいのだろうか?社会的に。

「偏見で判断するのは、社会の促進を阻害する」「偏見よくない」「差別よくない」という上品な思想が、19世紀ぐらいから主流になってきた。

だけど、21世紀はまた「工学的に制御された偏見」の時代に戻るんだろうか。偏見2.0

 

やはり「怪しい奴は前もって縛っておけ」という「マイノリティレポート」の時代になっちまうんだろうか。傲慢であり、偏見であり、それでいていつも正しい答えを出してしまうビッグブラザーGoogle様万歳。

でも、なんなんだろうな、この割り切れなさは。

 

Mr.ドワンゴは「正しさv.s.人間」という議論が21世紀の本質だと喝破していた。確かにそうなんだろう。

【第17回】論理は突き詰めると人間の敵になる。|川上量生の胸のうち|川上量生|cakes(ケイクス)

そして、この正しさには、論理実証主義的な100%の正しさだけでなく、「99.99%当たる偏見」も含まれるのだろう。化けて出たフィリップKディックあたりが、LSDきめて羊の夢をみながら、流れよわが涙と言うんだろうなあ。・・・まあ、あの人は、間違いなく「怪しいマイノリティ」の部類だし。実際それなりに犯罪とかもしてるんだろう。

 

「正しい奴ら」と「正しくない奴ら」のどちら側に、自分を位置づけるべきなのか。

きっとこの先、「正しい奴ら」は、金も正義も言論も独占していくんだろう。それでも、正しさにあらがう事はできるんだろうか。

中2、高2、大2、社2、人2病。

友人の結婚式の帰り、酔って自転車に乗った僕は、Row, row, row your boat,…と歌を歌い続けて帰ってきた。

 

結局、僕が、この僕が本当に知りたかった問いは、きっと一つしかない。

我々は何者なのか、どこから来て、どこへ行くのか。

それ以外の問いは、所詮は自分の賢さを自慢したいがゆえのスポーツ的な好奇心の問いだったり,金銭と交換するための実用的な問いでしかない。

 

僕の人生で、この問いに近づいたことは二回しかない。あるいは二回あるというべきか。

一つは、全力でマンガを書いていた時。

もう一つは,博士論文のテーマとして選んだ研究をしていた時。

だが、どちらも、その価値を誰かに分かってもらおうと、価値を金銭に変えようと言う下衆な想いが混じったときに、それは不器用な僕の手からすり抜けて、幻と消えてしまったのかもしれない。あるいは、はじめから幻だったのかもしれない。

誰とも交換できない答えを追いかけられるような、恋いこがれるような、あの想いはなんと言うのだろうか。「それ」を失った今は、もう、ルーチンワークしか無い。一日一日を愛する妻のために消耗し続ける。いや、それだって、幸福すぎるほどに幸福なのだ。なんの文句があろうか。

だが。

 

Row, row, row your boat,

Gently down the stream.

Merrily, merrily, merrily, merrily,

Life is but a dream.

 

スタートレック5でスポックは問いかけた。人生は夢なのでしょうか?と

 

https://www.youtube.com/watch?v=mpxRS8GORmk

 

どうなんだろうか。

 

とりあえず、寝よう。

生きるための勇気と生き延びるための臆病

意識の高い学生の方々が、一念発起して起業してビジネスをまわし、生き抜くための勇気を活き活きと語っている姿は、すがすがしく妬ましいモノであります。

いやあ、妬ましい、妬ましい。

私などは、生き延びる能力が根本的に欠如しているので、まあ起業などは夢のまた夢。動物園から出てきたよく肥えたピンクの豚が、ジャングルのワニの縄張りに踏み込んで水浴びしているような光景になる事でしょう。

そういう人間に取って、学校という檻はまあ比較的楽なモノでした。

会社という檻も窮屈で面倒でありながらも、この檻とつきあっていくのだろうなあ。

 

そう言う人間だからなのか、生まれた時代のなせる罠なのか、私はどちらかといえば「サヨク」な人間であるらしい。私の育ったキリシタンの家ではリベラルと言うていましたがね。殺し合いはやめましょう。弱者も嫌な奴も無闇に否定せず、みんなでヌルく生きていきましょう。そんな発想で、ぬるーく生きてきた。

でも、最近の若者の皆さんの中には、バトルロワイアルな殺し合いの場で育てられたのか知らないのですが、殺伐と否定し合ってののしり合うのが、紳士のたしなみと心得ている人も多くなっている模様。人に厳しく自分に厳しく、ストイックに心身を苛めて鍛え、貪欲に戦闘能力を身につけ、自己鍛錬を身につけ、生きのびる武器を手にしていく。

妬ましいような。

哀しいような。

面倒くさいような。

 

人間、臆病でさえあれば、一応は生き延びてはいけるもんなんだけどなあ。

この歳になると、そんな事も考えたりする。

 

某飲食店オーナーや某服飾店オーナーのように、勇敢なビジネスマン達は、毎日ハルマゲドンの恐怖を演説する。

曰く、この時代は過ぎ去り、破滅の角笛の音とともにグローバル競争社会という最終地獄がやってくる。近い将来やってくる。すぐにでもやってくる。その暗黒の時代を生き抜くためには、今のうちから我が輩の奴隷として泥をすすってストイックな殺し合いに慣れた戦士になる必要がある、とか。

我が軍に入り、血と汗を流し、勇敢な戦士になれば生きのびられる。

今は泥をすすり、来るべき殺し合いの世の中では、臆病者を殺す側に回ろう、とか。

 

なるほど、まあ、言っていることは正しいような気もする。

だが、それってオウム真理教で行っていた洗脳演説を、よりリアルに仕立て上げただけ何じゃねえのかなあ?という気もする。ディテールはリアルになっているが、物語の構造はおんなじだ。

帝国を作るための物語の本質は、何千年も変わらないという事なのかねえ。

 

僕はまあ、できるなら、今後も臆病で怠惰な歌を歌って生きていきたいものだ。

その結果、肩に刺々パッドを付けた狂信者に囲まれて殺される日が来るのかもしれないのだが・・・。

立川談志は、「落語とは人間の業肯定である」と宣っていたそうだ。

怠惰な人間のための歌。そんなものがあってもいい。

ハルマゲドンを恐れて隣の人間を殺して回るよりは、頭を下げて愛想笑いしながら女々しく生きていけるような臆病な勇気のために。臆病で怠惰な歌を。